カテゴリー別アーカイブ: Daily

20150412

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来週は京都と東京での二本のパフォーマンスを控えております。その場で何を感じ何がカタチとして出てくるか楽しみです。今日はいつも通り白と黒の間に何が存在するかの見つめ合いの時間でした。
今ようやく寝る前に真っ暗になった静かな部屋で今日一日の頭に残ったイメージをユックリ体にしみ込ましているとこです。ゆっくり休みます。おやすみなさい。

 

 

20150408

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最近はこの瞬間をみるといよいよ本格的な春を感じます。
散っていく桜の花びらが地面に積もり、桜色の海の様になる。風が吹くたびに空に花びらが舞い桜の木には新芽が出始める。散っていく桜はどこか暖かみを感じ、僕にはとてもホッコリした風景に映ります。
来週の水曜日はいよいよUrBANGUILDでUrBAKANA4とまた一緒にライブパフォーマンスがあります。
「春バカナ」….。
どーなる事でしょー。

 
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4.15 (wed) 「UrBAKANA4 食堂 LIVE!」 / no charge

UrBAKANA4 [ 宮嶋哉行 (violin) + akiko (electronics) + 辻崇 (馬頭琴)+ ryotaro (acc,synth)]
+ 濱大二郎(painting)

19:00 open 20:00 start
入場無料

at UrBANGUILD

 

 

20150405

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ほんとうに、顔は青ざめている。祖先たちが予言したことが起こったのだ。
地は徒党にみち、人びとは盾を持って耕しに出かける。
略奪者はいたる所にいる。
人びとの心は狂暴で、疫病は国中に広がり、血はいたる所にある。
河は血と化し、人びとはそれを飲まねばならない。
人びとは死体をおそれ水を求めて渇く。
老人も若者もいう「死んでしまいたい」と。
小さな子供たちはいう「産んでくれなければよかったのに」と。
樹々は切り倒され、すべての動物の心は嘆く。家畜は国土のありさまのために呻く。
人びとは草を水と一緒に飲み込む。鳥のための果物も草もなく、ブタの口から奪いとる。
飢 (が大地をおおう)

「イプエルの訓戒」から抜粋
これは3000年以上前に写本されたといわれるパピルス文書「イプエルの訓戒」からのほんの一部の抜粋だが、内容は4000年以上前エジプト古王朝崩壊後の混乱の時代を記録したものと考えられており、転換期の危機的状況の最も古い記録として知られている。この混乱は社会秩序の中で、人びとがそれまで信じていたものが失われ、それに変わる新たな価値観が模索された。

たまたま読んでいた本の中に出てきてとても興味深かったのでブログにのせました。
こういった何かの変化が起きる時のニュアンスをどう捉えるかが、その後の変化の道のりを決めるような気がする。
振り返ったり、後悔したり、沈む間はまだ余裕がある証拠であり
本当の転換の時は実際そんなひと時がないような気がする。
その後どう進むかは自分次第なような気がする。
そんな事を考えていたら、今日の日付の鞍馬寺のカレンダーにこう書いてあった。
「人の運命は自分で造るものだ」

 

 

20150401

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桜満開です。ジョギングの移動中にそこらじゅうで桜が満開なのをみます。そしてどこへ行ってもそれを写メする人の風景がつきものです。満開も綺麗だけど、最近は散っていく桜が何とも言えなく綺麗に感じます。
今日は少し走り過ぎて体がクタクタなのでもう休みます。おやすみなさい……。

 

 

20150330

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もうすぐで今月も終わります。もう二度と2015年の三月は戻って来ない。悔いなく今月も過ごせたか思い返す。
最近、家からアトリエまでの移動をまたジョギングで向かうようになった。時間は軽いジョギングでほたほた走るとだいたい1時間くらい。最初は遠いなぁ〜と思ってたけど慣れとは怖いもの、ほとんどその距離が苦ではなくなった。ただ障害的存在に感じるのは時間だ。急いだり、予定を時間内に目一杯詰め込んだときはどうしても考えてしまう。その分前もって時間を作って動けばいいのだが、なかなかそう簡単にいかない。でも気持いいし、精神的にもポジティブになれるから走る。睡眠が想像以上に深いというか、自分でも分かるくらい布団に入ってからの寝るスピードが早い。そして気づいたら朝….。今夜も今このブログを書きながら目は閉じかけてる状態です。

 

 

20150327

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今日は久しぶりにユックリ日記がてらブログを書こうと思った。
昨日の朝に東京から京都に戻り一日が経った。
生活という生活はしてなかったが、自分の中では今までで一番関東にいる滞在時間が長かったと思う。
NYに行った時より何か胸騒ぎというか変な緊張が東京からは感じる。でも自分の身を置いてしまえばその胸騒ぎも消えた。基本的どこへ行っても自分がどうなのかだし、特に変わらなくなるもんだ。周りの環境によって自分の心情や感覚の変化を楽しむのも新鮮だけど、それにすがってしまえば自分から何も生まれなくなる事がオチだ。
今回久しぶりに違う環境に身をおき自分が感じる事、湧き出るものを意識したが変化はなく特に今まで以上の何かが出てきたわけでもない。当然滞在日数が短すぎるという事もあるが、それより自分の中にあるものがいつも変わらない日常の中に常にあるという事も再認識できた。
最近はとても早く情報が拡散でき共有ができる世界だ。それはとても便利で色んな事に都合がよく、今では当たり前の事だ。でも僕は全ての事において都合がいいとは思わない。この事については本当に人それぞれの意見がある。僕は情報をどんどん共有している人達の事も特に悪く思わないし、断固否定する人についても何も思わない。
ただ、現在自分が生きていいて僕はどう思ってどうしたいかだけを考える。
だから拡散共有する場所では個人的な意見を言おうと思わなくなってきた、それでこのブログを始めたのもある。
このブログを見た人がどう思うかもそれぞれだし、肯定否定するのもその人次第だと思う。
最近あるオランダ人と日本人が個人制作しているドキュメンタリー映画のインタビューをうけて興味深い質問があった。
「よく楽しそうにしている人がいますよね。その中であなたが嬉しく感じたり、もしくはそれを見てむかついたりする事はありますか? またその違いは何ですか?」
むかつきまではいかないが、嬉しくは思わない事はある。僕の中でその違いはその楽しくしている人が自分にひたって楽しんでいるか、僕にうったえかけてる楽しさの違いかと最初は思った。色んな事にも言えるが、自分が要求してないのにうったえかけるプレッシャーには反発する意識が生まれるのは普通だと思う。逆にそちらはそっちで、こっちはこっち、といった様に多少ドライなくらいが丁度いいと思う。でもここがトリッキーなとこで何もなかったらなかったで要求意識が生まれる事もある。人間はとても自分勝手な生き物だ。そこで思った事は自分のする行為に対して見返りを持たない、要求しない。そしてその行為は自分がしたいからする。その意識ででる行為は相手にとても自由な空間と色んな事を思えるユトリを与えるような気がする。
最初のインタビューの質問にもどるが、楽しそうにしている人も自分にひたって楽しいのか見せびらかす楽しさなのか本当のところは分からない。結局受けとる側がどうなのかが一番の焦点だという事に至った。
という事は、結局自分次第….。
この事については毎日勉強させられるテーマの一つだ。たまにイライラする時、セカセカする時いつも対する物や事に反発してしまうが結局それは自分に理由がある。分かってるけど分からない…というより分かろうとできない。
でも気持に余裕があればそんな反発はうまれない。一つの鍵は気持にユトリを持つ事。
花は気持にユトリを与える。これはカナダに住んでいて色んな事で精神的にまいっている時によく会うポルトガル人のお婆ちゃんに教えられた事だ。自然の力はよくできたものだ。
イライラしたり、沈む事は当たり前でとても自然な事だ。でもそれも自分自身で無くす事も自然にできるし、自然(ここでは当たり前で平凡な時間や事)からも補う事ができる。
色々話したけどインタビューの質問を通して改めて考えたのは自分の描く作品の事でうったえかけ過ぎない、自由でユトリをあたえるモノ。これは僕がモノクロの作品を探求する中でとても重要なテーマだ。
その自由でユトリを与えるモノは、時には刺々しく、時には緩やである。
また明日からその花の様な自由でユトリを与えるような作品を描けるように頑張ろうと思う今である。

 

 

20150320

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明日からしばらく東京で展示が始まるためトロントからの友達のとこにお邪魔しています。
無事搬入も終え明日の為にスタミナご飯を作ってくれました。
今日はゆっくり休んで明日から頑張ります。

 

 

20150316

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無事に昨晩のPechakucha nightでのプレゼンも終え、また新たな一日が始まってます。
とても貴重な経験ととても充実した時間が過ごせた一夜でした。
日付は変わり3/16、今日の昼間はとてもポカポカ。やっと近づいて来たこの空気。
春はもうそこか?それとも、もうここか?
鴨川を歩いている人達はみんな笑顔でした。
いよいよ今週から東京での展示が始まります。体調とモチベーションを整えて頑張ります。

 

 

20150314

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昨晩、久しぶりに鮮明な夢を見た。目が覚めた後でもハッキリ内容を覚えており、起きたあとまた眠りに入りまたその続きを見た。しかも三回も….。
背中が紫で綺麗な緑の線が入った妖精の様な小さい小猿と一緒に人生を共にするようになる夢だった。
正確に言うとその小猿が僕になつき勝手に付いてきた感じだった。どこかの秘密の施設があってみんな僕の友達がそこに集っており、地下にはまたさらに秘密の色んなモノが売っているというか置いてある場所があった。
そこには様々な動物の剥製、化石、標本など少し怪しい気配のモノばかり。他には全く繋がりが読めないが色んなアート雑誌や画集、レアな少数販売されていた本などが敷き詰められていた。そこで売っていたのか、ただ居ただけなのか分からないがその小猿と出会いこの夢は始まった。その小猿は羽は一切ないのだが妖精の様に空を飛び僕の肩や頭の上に乗りいつも僕と一緒にいた。たまに遠くにいったと思うとまた帰ってきて肩の上に乗る。
特にこれと言ってハプニングやストーリーのある夢の内容ではなかったが、あまりにも普段と一緒な日常生活の状態だったので何か不思議な心境ととても可愛いなつっこい小猿だったので面白い時間だった。
たいがい夢の中にいると夢だと認識して自分がその中にいるのが分かるのだが、今回はあまりにも楽しいのと不思議な感じだったので、ほとんど忘れていた。
今でもハッキリ覚えているが二回目に起きた時、自分がめっちゃ笑っていたのを覚えている。それで一回トイレに行き、眠りに入るとまたその小猿と出会う事ができた。名前は付けてなかったが相当可愛がっていた様な気がする。
小さい猿と一緒に生活するのは昔から憧れていたが、現実的には難しいと思っている。だから昨晩の夢のような状態がとても充実していた。まさに夢のような世界だった。鴨川に散歩に行く時も肩にのり、アトリエで作業している時は邪魔をせず1人で座っていた。ただとても小さく、全く見た事がない色の猿だったのがとても不思議でたまらない。
頭の中にその記憶があるうちに絵に描き写しておいた方がいいような気がする。
夢はデジャブなど色んな事を意味すると言うが一体この小猿が何を意味するかとても興味がある。まぁそんなに深く考える必要はないと思うが何か気になる。
また今晩も会えたら一体何を意味するのか夢の中で見つけ出してみようと思う。

 

 

20150312

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平凡でゆっくりな時間が流れているとこほど特別な事を引き出してくれるところはない。
写真は最近よく時間を1人で使う時に見える風景。鴨川と近所のフェンスごしに見える畑。
毎日見てるのに毎日違う表情を見せてくれる風景です。それは僕の心境の変化で違って見えるのか?風景が変化してるのか….? 特に畑の方は動くはずが無い。やっぱり僕の心境のせいだ。だいたい人が何かを通して感じたり思う事はその物事が理由ではなく自分がどうなのかで感じる事がほとんどの様な気がする。この風景を毎日見ていて最近よくそう思います。
来週の日曜日はUrBANGUILDで開催されるPechakucha nightで自分の作品に付いてお話をする。
どーなることやら〜。